引越しまでのひすとりー

おうちを買うことを決めてから引っ越すまでです。

1995年秋
婚約して、引っ越して、一緒に住みはじめました。とてもかわいい(出窓だったり、ふすまのかわりに白いドアだったり、キッチンセットなども白いドアだったり)でとっても気に入っちゃいました。二人とも、おふろもないような六畳一間のアパート生活が長かったので、ひと部屋増えたこと、台所も六畳もあること、きれいで広めのおふろがあること、洗面台があること(ないのよね、ちっちゃいアパートには・・)に感激し、ここにずっと住もうねー、と言っていました。
1996年春
結婚式をあげました。おうちなんて一生買えないね、代わりに、家の中のもの買おうねー、なんて言っていろいろと家の中のものを買ってました(実はこのせいで、どんどん狭くなってしまったのかも・・・)。
1996年夏
5年後に子供を産むとしてその子が小学校を卒業したころに、買えたらいいねー、もうひと部屋あれば2LDK、いいよねー。家の中をいろいろ改造したいから、小さい家(2LDK)がいいの、じゃあ、がんばって、年100万くらい貯めるようにしよー、などと言っていました。まさかすぐ後に、家を買うことになるなどとは夢にも思っていませんでした。
1996年9月末
実家に帰ったときのこと。「近くの団地、買えば? 1500万だよ。金利も低いし。今の家賃、11万くらいもするんでしょ?家賃より安いわよ」と母。「えっ」とさっそく本を一冊買ってきて、すみずみ読んで、試算してみたpenchan。確かに管理費や修繕積立金、固定資産税などを月割りにして見積もっても、安い。」penchanの実家のそばということで、仙台に住んでいるmakのお父さんお母さんはどう思うでしょう。でも聞いてみたところ、今の家賃も高いからと大賛成してくれました。ありがたいことです。
1996年10月
システムキッチンのカタログやショールームなどを見回って、見積もりまでつくってもらいました。サンウェーブのLaLaにして、白木のにするんだー、白木のフロアリングにするんだーとはりきっておりました。内装にかなり手を入れることを条件に、結局ここに引っ越すことに決め、物件が出るのを待っていました。(でもこの時点でリフォーム費用、300万が加わったのでした。で、今後5年間は今と同じ生活のつもりで返そう、との計画をたてました。)
1996年11月23、24日
実家に泊まって、現地を見に行きました。ちょうど該当する物件もでたというので見せてもらいました。でも・・・家の中のあまりの状態の悪さに(失礼!)、ちょっと恐れをなしました。家の中の状態は、各家によってまちまちだ、と不動産やさんも言っていましたし、現に実家やおばの家は中はとてもきれいなのです。ただ、この家を買うとなると、リフォーム費用が、300万どころではなく、400万以上はかかってしまうということがわかりました。これではリフォームしても長持ちしないのではないか、とmakは心配しだしましたがpenchanはここに住むつもりでした。
1996年11月24日
帰宅後、makはだだをこねました。もっと新しいところがいいっと。penchanはとほーにくれながらも、前にもらった住宅のちらしなどを見ていると、築2年、2080万のおうちが出ているじゃあありませんか。どきどき。
1996年11月25日
makに電話してもらったら、ちょうどその物件がまだあるという。しかも、100万値下げしたばかりとか。さっそく、案内などを郵送してもらうことにして、あと、週末に見に行くと伝える。実家に、そのことを伝え、間取りをFAXしたら、こういううなぎの寝床っぽい間取りは使いにくいんだよなどと父。母もなんかごにょごにょ。同じ団地ではなく、電車で15分くらいになるのが不満なのかしら?? 1996年11月29日
日曜日は法事なので、makは金曜に休みをとって、金土で家を見に行きました。makは免許証の更新、penchanは新しいおうちで使うの、とクリスマスと誕生日のプレゼント分をつぎ込んで渋谷パルコパートIIIのお皿30パーセントオフセールに行ってから、だったので夕方到着。もうとっぷり日が暮れてました。ピンク色っぽい色調と、お花模様の街灯にpenchan感激。家の中も、念願の対面式キッチン。わーい。 キッチンの扉とフローリングが白木ではなくダークなのだったのと、やっぱり食洗器を置くいいスペースがないのは残念でしたが、makは気に入ったようでした。 1996年11月30日
penchanの父母とmakとpenchanで、改めて見に行きました。新しくきれいだったので、父母も納得したよう。決めました。「買います」。
1996年12月6日
契約です。会社を6時に出て、現地の不動産やさんに、売り主さん、不動産やさんの担当者、買い主のmakとpenchan、ついでにpenchanの父も大集合。かなり夜までかかって、契約の説明を聞き、実印をあっちこっちに押しました。「実印がこんなに活躍するなんてびっくり」というのがpenchanの感想。
1996年12月7日
せっかく来たのだから、いろいろ部屋の寸法をはかりたい、と不動産やさんに申し出て、かぎをかりました。寸法をはかるとともに、penchanの父の運転する車で団地のまわりを何周もして、makのお父さんお母さん、お姉さんに紹介するビデオの撮影もしました。penchanははじめてだったので、なんだか見ているとよっちゃうようなビデオが仕上がりました。
1996年12月末
ときどき、先日とったビデオを見て、うふうふいいながら、引っ越し荷物をつくりはじめる。友達への年賀状にもちょこっと引っ越すことを書き足す。「これでローンの審査降りなくて、引っ越せなかったらお笑いだねー」などといいながら。
1997年1月
ひと部屋、引っ越しの荷物に埋もれはじめる。家が決まってから、なかなか引っ越せないというのははじめてなので(一人暮らしだと翌月くらいには引っ越すじゃない?)なんだかもう疲れてきた。「これでローンの審査降りなくて、引っ越せなかったらくたびれぞんだねー」などといいながら。makは「早く引っ越したいねー」が口癖になりました。
1997年1月19日
新しい家のカーテンを全部つくるんだ、と一割返金セール中の蒲田のユザワヤへ買い出しに。makはのんきにバンドの練習。penchanはふうふういいながら重い荷物をかついで帰宅。気に入ったのが量が足りなかった(やはりセールの最後のほうに行くのでは遅かったみたい)ので、ミシンパッチワークにしよう、と無地のピンクの布も買って。(よくやるねー)
1997年1月28日
不動産やさんから電話、「ローンの審査、おりました」。わーいやったー。これでほんとに買えるのよね、いよいよねー。
1997年1月31日
カーテン、ぜんぶ5センチ角のミシンパッチワークにしようといきごむpenchan。でも今は引っ越し荷物のせいで場所も時間もない。でも引っ越したら、思いっきりやるぞーーとやっぱりはりきるpenchan。
1997年2月1日
新しく買うベットなどを見に、調布南口のどあーずにいきました。あそこは一昨年買ったとってもかわいいドレッサーと、去年買ったとってもかわいい食器棚を置いていた、penchanのお気に入りの場所なのでした。でもベットは結局なくて、ハンモックみたいなそふぁーと、カウンターキッチンに置く回転いすを買いました。引越し前にこんなの買って。しょうがないなー。
1997年2月3日
公団の再譲渡契約に新宿へ。2人で実印と今の借家の契約書と頭金の中間金として10万円をもって来てとのこと。公団の手続きってめんどくさいのね。今申請して、許可がおりるのは今月末。それもまたここに来なくちゃいけないなんて!
1997年2月6日
引越しやさんの申込をmakが電話でしてくれました。penchanはこの日から3日間、2年目になるおみそづくりに燃えたのでした。
1997年2月8日
今住んでるアパートの管理会社に、引越しすると電話しました(makが)。お庭のプランターを少し片づけました。
1997年2月9日
荷造りしました。
1997年2月10日
がががーん。転機はこの夜、不動産やさんからの一本の電話ではじまりました。
「いやー、税金の関係やなんかで、ちょっと奥さんに動いてもらわないとしょうがないんですよ。15日までに新しい住所の住民票と印鑑証明をください。それから、3月にお支払いいただくはずだった残金、その時(15日)に持ってきていただけますかねー」
 といった内容。7時すぎに仕事から帰って、夕飯をつくって、引越しやさんの見積もり前に、引越しの片づけをしなきゃ、とすっかり疲れきったpenchan。「住所の移転たって、転出して転入までを15日までにってそんな急には無理です。」(ちっとも手伝わず散らかしまくり、休みの日にはバンドの練習に出かけるmakよりpenchanのほーがかわいそーだー。もーー、オコッタ。「お金だって、そんな急にいわれても無理です。」「先月いただいた予定とだいぶ違うので、どうしていいかわかりません。今後の予定や、いついくらくらい必要なのか、ちゃんと日程を書いてFaxしてください。」とまで言っちゃいました。だってだって、親に借りる分、そんな急に早くして、なんて、言えない・・・。もーー、いやっっ。
引越しの荷物を小さくしようと夜中とまで奮闘していたpenchanは、仕事で夜中12時すぎくらいに帰宅したmakにやつあたる。「明日9時から10時の間に来るんだよ、引越しやさん。9時までになんとかしといてね、おやすみっっ。」と眠ってしまったのが運の尽き・・・。
1997年2月11日(祝日)
朝、引越しやさんが見積もりに来ました。時計をはっと見ると、9時。2人ともまだパジャマ。チャイムが鳴って、いま起きた。ねぼけたまま。とりあえず、makが出る。「ととろ」のパジャマの上にコートを着て、実にあやしい。ドアをしめてpenchanはお着替え。目覚し時計が鳴る。「リンリンリン、リンリンリン」。もう9時過ぎてるよーー。9時には来るのになんで9時過ぎに目覚しセットするのよーー!!ともかく、なんとか見積もりが終わり、3月11日の引越しを頼みました。ジャスト10時。9時から10時に来る、とはこのことだったのね、と妙になっとく。
午後、不動産やさんからFAXが着ました。見ると予定がだいぶ変わって、3月中旬に引き渡しのはずが、なんと2月末に・・・。もうっっ、早く言ってよーー。引越し日を、とっさの思い付きで、3日に早めたことから、penchanの忙しさは激化したのでした。(墓穴をほったともいいます・・・)。あぁ、引越しやさん、ごめんなさい。
1997年2月12日
もうすっかり現実逃避モード?みかん酒、いちご酒、チョコケーキを焼く。親戚のおじちゃんに毎年あげているチョコを準備しなくちゃだし。makにも・・・。こういうことが、しっかり予定にはいっちゃってるから、いそがしー思いをしているのよね。
1997年2月13日
転出届けを出すため、makは会社に遅れていきました(penchanさぼり)。
1997年2月15日
千葉まで、駐車場の申込に出かけました。それから、所有権移転手続きとかで、頭金の残りの90万も持って。往復すると、よいこらしょ、という感じです。共有名義にしたので、なにかと2人で出頭?しなければならないのです。まだ東京から千葉だからいいけど、もっと遠くの人はどーするんだろーー。
ところで、この日おんなじ間取りのマンションが、100万くらい安くでてて、オープンルームもしていたのでおじゃましちゃいました。中古物件は、売り手と買い手のタイミングが決めてなので、このように値段が変動するのだそうです。3月に引越ししたくて12月くらいから手続きをはじめる人が多いのだそうです。売る方も、考えなくちゃいけなくて、難しいですね。
1997年2月17、18日
銀行印を(いまごろ)つくったり、電話、水道、ガス、電気、NHK、保険とうとうまたまたいっぱい住所変更。電話の苦手なpenchanは、電話をmakにまかせたのだけど、これも墓穴をほりました。makは会社から電話したらしい。「どーしてお昼休みに外からかけないの?」「お昼はやってないんだもん」
納得。はずかしーー。(makの会社の人たちに)
1997年2月19日
転入届を出しに千葉へ。新しい住所の印鑑証明が必要だなんて急に言うから、makは会社を休んで2人で出かけました。ついでなので、makはバイク(原付)に乗っていきました。penchanは確定申告や振込などの用事を済ませて電車で行き、現地で、すっかり凍えきって紫の顔をしたmakと再会しました。おそろしかった・・・。4時間もかかったそう。この風の強い寒い日に、半分ヘルメットで行くなんて。でもともかく無事転入。これで書類もそろいました。
1997年2月21日
銀行との契約をしました。makの会社のそばだったので、makはお昼休みにちょっとぬけて。penchanも合流して。構えて行ったわりにはすんなり済みました。
penchanはその後、引越しはがきの紙を買ったり、makに頼んでいてもちっともできない「食洗機台」を、自分で設計して、材料などの手配をしました。
1997年2月22、23、24、25、26日
いよいよ、あと一週間で引越しです。不要品を処分したり、新しい家具を受け取ったり、引越しのごあいさつのお菓子を買いに行ったり、もちろん、お掃除して荷造りもして。
1997年2月27日
公団に行って、再譲渡許可をもらいます。登記簿の書き換えもしてもらいます。不動産やさんへの手数料の残り半分と司法書士の人への手数料を支払って、いよいよもうすぐお引越しです。
1997年2月28日
夜、出張で東京に来たmakのお父さんと、penchanの父と、makとpenchanでお食事です。なんとなく、いよいよ買った家にスムンダナー、という感じです。
1997年3月2日
車のお引越しをします。千葉のほうで、年に一度の駅前駐輪場の申込(ちょうど昨日から受け付けでした)もします。
1997年3月3日
いよいよお引越し。わーーい。

1997年3月8日、mak、バンドに出演。こんな忙しい引越し準備もせず、バンドの練習をしてたmakって・・・)




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